ペンを回す梟

fukrou in JEB 主にペン回し

全てを終えて

この時のために全ての時間を犠牲にしてこの勝利のために頑張ってきた

ラグビー日本代表 福岡堅樹選手

ずっとこの言葉が心の中にあった。全てが終わった時に私もこう言えるのだろうか、私が今まで犠牲にしてきた時間は、費やした努力は間違いでは無かったのだろうか。

 

 

時の始まりは今年の年明け。新年会に呼んでいただき、そこでJapEn14thの話になった。その際思ったのが、自分でも信じられないくらいに努力が報われたということ。中学時代からずっと憧れていた方々に、この界隈に飛び込んでからずっと良くしてもらっている方々にここまで褒めてもらえるなんて夢にも思っていなかった。

そこで私は「ここで消えたくない」と強く思った。JapEnで成功して消えるのは確かに理にかなっているかもしれない、でも私の中のfukrouという存在をここで終わらせたくはなかった、まだ俺はやれるというのを示したかった。そしてTwitterにて「2019のJapEnも出る、そして14thの自分を超える」その旨を宣言した。

そして出演させていただいた「沼にハマって聞いてみた」にてロケの最後に「今年も去年に負けないような活躍をする」と宣言した。テレビでは「JapEn」の単語こそカットされているが、もちろんJapEnへの宣誓の意味を込めていた。

 

時は過ぎて、夏の陣決起会。製作委員会が集まればやはりJapEnの話になるわけで、その中でも招待枠の話で持ちきりとなった。「流石に今年はないだろう」と思いつつ嫌でも緊張してしまう…なのでなるべく耳に入れないようにしていた。しかし突然私の前にFumiyaさんの手が差し伸べられた。JapEn 15thの招待だった。流石に嬉しかった、何より感情が高ぶりすぎて涙してしまった。そこからJapEnに向けての覚悟、そして期待に応えなければならないという使命を背負い、長い長い戦いが始まった。

 

日に日にJapEnへの想いは強くなっていく。歴代シリーズの曲を聴いて気持ちを高める通学時間、隙間時間が有れば歴代作品を見てモチベーションを上げ、頭の中はJapEn一色だった。またJapEn VPの販売や映画館での上映等、様々な情報がそれを一層加速させた。

しかしいつからかそれが裏目に出ていた。数いるスピナーの中から私を選んで下さった製作委員会の期待に応えなければならないというプレッシャー、例年にない規模のJapEnを私のせいで失敗させてはならないという重圧、昨年14thの自分を超えなければならないという呪い、様々なプレッシャーが襲いかかってきた。ネタは全く生まれず、分かってきたはずの構成すらも全く分からなくなっていた。カメラを回しても5分もてばいい方、完全にスランプに陥った。一次提出の段階で全く組めていない程絶望的な状況だった。正直何度も心が折れたし才能の限界すら感じていた。「投げ出してしまいたい」という感情がふと頭によぎってしまう自分にすらも絶望する程追い込まれていた。

 

しかし、負の連鎖は少しづつ止まっていく。私の周りでJapEnに向けて頑張る仲間達の存在がかなり大きかった。wabi君、kAttsさん、iroziroさん達との通話を通じて、どんなに辛い撮影にも負けずに戦う姿がそこにはあった。何よりRai君が体を壊しかけて倒れてもなお 諦めずに最後まで戦い抜く姿を見せてくれた。それらが本当に勇気と力になった。

また、制作委員会の皆さんがどん底から救ってくれた。技術的な面では、FSになっていないコンボ動画にアドバイスをいただけたり、精神的なサポートも手厚くしていただいた。皆さんの言葉にどれだけ救われたことか…。

そして今回のJapEnの曲が届く。それを聴いた時に1番大切なことを思い出すことができた。

 

「俺はJapEnに出たかったんだ」

 

JapEnシリーズ愚かCVという存在すら知らなかった小学生の時たまたま1stを見ていた際に抱いた憧れ、初めて10thをリアルタイムで見たの時の感動、一歩踏み出す勇気が無かった私に希望と勇気をくれた13th。そして初めて出演することの喜びを知った14th。

純粋にJapEnシリーズへの憧れ、そして「絶対に出たい」と言う気持ちが溢れ出てきた。

そして今回の鍵となった演出。FumiyaさんとRaykjavikさんが私の家にロケに訪れて撮影をしてあの形となった。本番どんな感じになるのだろうかと期待をしつつ撮影は進行した。

その後2人と共にカフェで色々なことを話した。僕が抱いているプレッシャーや重圧、本当に煮詰まっているということなど全てを打ち明けた。すると「使命感や義務感は背負わなくていい、君が君であるだけでいいんだ」「今年も君が主人公だ」と言ってくださった。

本当に救われた。義務感よりも使命感よりもより一層「JapEnに出たい」という思い、そして「fukrouと言う存在を示したい」という思いが強くなった。人の為だけじゃない、自分の為に、自身の夢のために頑張ることを決意した。

 

ここから少しずつ光が見え始めた。

とりあえず時間が限られた時間の中でスケジュールを決めて完成を目指した。2週間の間は構成ガン無視でネタ出しに専念。その後の一週間で構成を完成させるというスケジュール。見事にスケジュール通りに進行し、始動以外は完成した。始動だけはItezaさんから技を教えていただきなんとか完成まで持ち込んだ。審査員のItezaさんebanさんの二人からもゴーサインが出たので本番撮影を開始。ようやく撮影ができる…それだけでかなりほっとしていた二次提出締め切り日のこと。

 

しかしまだ長く暗い道は続いた。

ゴーサインが出てとりあえず1週間丸々撮影に身を投げた。撮影環境に太陽光が必要であり、十分な光量を確保できるのが午前9時〜午後1時までの短い時間。そのため休める午前授業は欠席(親の許可は取ってあります)して撮影に明け暮れた。1週間もあれば撮り切れる自信があった。

しかしその自信とは裏腹に結果はついてこなかった。過去最高難易度のFSを前にして、成功テイクすら数える程しか撮れなかった。少しづつ心に焦りが出てきた。撮っても撮っても納得するものが撮れない日々、少し見えた光が思っていたよりもずっと遠いということを改めて思い知らされた。

それでも心は折れなかった。制作委員会の集まりに呼んでいただけたことで常にモチベーションは上がっていた。また動画を出す度にいただけるアドバイスや実際会った時に掛けてくださる言葉が力となった。

気がつけば期限の11月最終週、しかも晴れるのは29、30の2日間だけ。焦りや不安は嫌でも襲ってくる。それでも不思議とこの2日間で撮れる自信が、最高のものを撮れる自信があった。ここに今年の全てをかける、もうとっくに燃え尽きかけた命に無理やり火をつけ、本当に最後の戦いがはじまった。

 

無謀な賭け勝ちに行こう

 

朝起きて朝食を食べたら先ずはラジオ体操。手汗を出やすくしたり指の動きが良くするためのルーティンを行い撮影開始。「30分撮影、2分瞑想、3分自由時間+ストレッチ」を1セットとしてパフォーマンスを最大限に発揮できるように調整。常に「calling」を流して気持ちを上げて臨んだ。どれだけ失敗しても「大丈夫 できる」と自分に言い聞かせ続けて。

そして終わりはやはり突然だった。いくつか撮れた中の1本が自身のほぼ理想の動画であった。トリミングを済ませ制作委員会に動画を送信、反応は最高のものであった。

後は公開を待つだけ。不安と期待が入り混じりつつ長い撮影生活を終えた。

 

長い長い戦いは終わりを迎えようとしていた。

 

先行公開

カウントダウンの時点で涙は溢れ出していた。聴き慣れた曲だが映画館の大迫力の音響に圧倒される。初出演の方が、過去最高の内容をぶつけてきた方が、一緒に戦ってきた仲間が次々と出てきた。躍動する最高の演者達を前に会場の盛り上がりは止まらない。そして見覚えのある演出、そして一番見慣れた動画がスクリーンに映し出された。私だ。この一年夢にまで見た映画館でのジャペンを叶えたのだ。本当に嬉しすぎて正直FS後半は全く覚えていないくらいだった。作品後半の記憶は曖昧、でも最高だったという記憶は確かに残った。

 

一般公開

泣いた。隣にwabi君kAttsさんがいたけどお構いなしに泣いた。過去最大規模にして最高のJapEnへの出演が叶った。一緒に戦ってきた仲間と共演できた。また私の動画が良かったという声も多くあったし制作委員会の方からも褒めて頂けた。

 

長く暗い道はやっと終わった

 

不安やプレッシャーからの解放、そして最高の喜びと達成感で胸がいっぱいだった。

CVには幸いなことにそれなりの数出演させていただけているが、今回が断トツでキツかったし辛かった。それでも応援してくださる皆さんがいたから、一緒に夢に向かって戦う仲間がいたから、この過去最大規模で最高のJapEnだから、そしてこの制作委員会だからこそ最後まで戦い抜いて自身の100%…120%の力を出すことができた。

 

今なら私が犠牲にしてきた時間は、費やした苦労は間違いなんかじゃないと胸を張ってそう言える。

そして私たちが信じてきたペン回しは、何一つ間違っていなかった、それを「JapEn15th」が示してくれた。

 

 

いくら言葉を探しても今は感謝の言葉しか出てきません。なのでこの辺りで締めたいと思います。

重ね重ねにはなりますが、私に期待及び応援してくださった皆さん、一緒に最後まで戦い抜いた仲間の皆さん、JapEn15th制作委員会の皆様、本当に本当にありがとうございました!

 

JapEn15th最高

 

 

 

 

 

 

 

 

この先何年も最高のJapEnが続くことを信じて

fukrou